前回に引き続き、今回は見た目の病気のことについて書きます。
私は6年前透視リーディングしてもらったことがありました。
2019年の12月くらいだったと思います。
そこでは2025年に見た目の病気が治るとはっきり断言されました。
ちゃんと確認もしましたし、言葉に語弊があるとはおもえません。
でも・・・
それでも・・・
病気は治りませんでした。
透視を批判したいわけではありません。
実際今でも利用しており、役に立つこともたくさんあります。
でもそれは近未来のこと。
必ずしも5,6年先まで当たるとは限らないのです。
逆に・・・
私の努力が足りなかったわけでもありません。
通常では考えられないくらい悲惨な思いをして、本当にいろんな努力してきましたから・・・
しかし私は嘘偽りのない言葉ではっきりと書かねばならない想いがあるのです。
”それは信じて耐えてきた時間が、意味を失った瞬間でした。
希望という名の器に注ぎ続けてきた日々が、
ある日突然ひび割れ、
気づいた時にはもう、修復できないほど砕けていました。
残ったのは、床に散らばる破片と、
それをどう扱えばいいのかわからない私だけでした。
その破片は私を守るのではなく、ただ傷つけるものでしかなくなっていたのです!
「今年で治る」という甘い言葉は、
私にとって救いではなく、
最後まで信じさせるための刃だったのかもしれません。
希望という名のガラス細工は、
慎重に、必死に守ってきたからこそ、
壊れた時の音が、あまりにも大きすぎました。
割れたのは未来と、
その未来を信じて耐えてきた、私の時間でした。”
