得意なことが一つもない
最近私は、こんな事を考えました。
横になっている時、ふと、目にした感謝状、
「そういえば、一回も感謝状をもらったことがないな…」
そんなことは大したことではないし、とっくの昔に卒業したはずの感情。
「もらったものといえば、卒業証書だけか」
そう、あれは子供時代のことだった。
昔のことすぎて思い出すこともなかった記憶。
机の奥底に眠っている記憶。
なにをやっても1位どころか入賞すらしない。
1つくらいそんな特技があってもよかったけどなあ。
子供時代の悩みの一つ
子供時代の悩みの一つ、それが賞がほしいということでした。
今となっては懐かしいその悩み。
でも当時は本気だったと思います。
何かで抜きん出ている人が表彰台に上がるにつれて、良いなあ、欲しいなあ、と思ったものでした。
その証としてのトロフィーやメダル、賞状が欲しかったのです。
膝を抱えて、ただ見ているだけの表彰台。
絶対になれるはずのないヒーロー。
自分と比べては卑下してしまうのが辛かった。
よし!自分も表彰台目指すぞ!
そんな強い思いがあれば良かったかもしれません。
しかし、そう思える余裕はなかったと思います。
劣等感をたくさん抱えていたら、そう思うのも仕方ないですよね。
トロフィーを眺めては…
こんなエピソードもありました。
時々行くとあるお店。
そこには数々のトロフィーが売っていました。
大きいのから小さいのまで、形も様々です。
特に、大きくてゴージャスなトロフィーには目を惹かれました。
いいなあ…!
欲しいなあ…!
でもよく見たら、何万円もしたり、子供にはとてもじゃないけど手出しできない値段。
じゃあもっと安いのでいいや。
小さめのトロフィーに目を移す。
うわ、これも高いんだな…
こんな感じで、トロフィーをジーッと見てはいつも落胆するしかなかったのでした。
劣等感だらけだった私には、そのくらい自分という人間に価値を与えるような証が必要だったのです。
でも、こんな自分だからこそ
さて、話は現代に戻って、先程の続きです。
もらったのは卒業証書だけ。
なにか特技でもあれば、もう少し生きやすかったのかな?
そんな事を考えながら、またその感謝状を目にしました。
すると、光の速さであることを閃いたのです。
あれ…?
でも、卒業しただけでもすごいことじゃないか!
そうか、感謝状なら自分で自分に贈ればいいんだ!
そうだよ、ここまで生きてこれたこと、それだって感謝に値することなんだ!
今までもたくさんのことを乗り越えてきた。
生まれてからずっと乗り越えてきた。
歩けるようになって、話せるようになって、そのうちコンプレックスも抱え、それでもめげずに生きてきた。
この悩みが何なのかもわからずに、誰にも話せず、
それでも生きてきた。
そのうち自分の力でそのコンプレックスをどうにかしようと、一人で諦めずに生きてきた。
そして、一つ一つのコンプレックスを乗り越えるたび、新しい自分に出逢えた。
確かに、自分を蔑んだり恨んだり、そんな時もあると思います。
私も長い間そうだったのでよくわかります。
でも、今の時代は違います。
これら一つ一つに感謝状を贈っても何も悪いことではなく、むしろ贈らないなんて、自分を不当に貶めてるのことに他ならないのです。
自分だけが手にすることのできる感謝状、メダル、トロフィー。
選ばれなかったなら、自分で選びに行けば良い。
たしかそんな歌もあったっけ…?
僕だけが、君だけが、もらえるトロフィー。
僕こそが、君こそが、選ばれた光。
